経営戦略の全体概要
経営戦略の定義
1960年代のアメリカにて、元々軍事用語であった戦略という言葉が企業経営に適用され誕生した概念である。
識者により様々な定義がされているが、とどのつまり「企業がいかにして経営目的を達成し、成長を遂げていくかについての指針」と考えることができる。
■著名な識者による経営戦略の定義
・アルフレッド・チャンドラーによる定義
経営戦略とは:「企業の長期的な経営目的、目標の決定およびこれらを果たすために必要な活動指針と資源配分の決定である。」
・イゴール・アンゾフによる定義
経営戦略とは:「外部環境の変化に企業を適応させるために、参入すべき製品や市場構造の決定である。」
両者の大きな違いは、経営戦略という概念の中に、企業の経営目的を含めているかどうかである。
経営戦略の歴史
経営において戦略という概念が論じられるようになってから大きく2つの勢力がある。
その2大勢力として「ポジショニング派」と「ケイパビリティ派」があるが、今現在においても絶対的に正しいとされる統一された結論には至っていない状況である。
■経営戦略論の歴史における時間軸
1911年
作業現場の生産性及び労働意欲向上のために仕事量と作業を標準化するといった「科学的管理法」がフレデリック・テイラーにより提唱され、これが経営戦略の源流となる。
1920‐1930年代
労働意欲向上に重要なのは作業環境ではなく、良好な人間関係の構築であるという「人間関係論」がエルトン・メイヨーにより提唱される。この理論はホーソン実験という工場の照明と作業能率の相関関係を調べることを目的とした実験の中で作業能率は照明の明るさではなく職場の人間関係に左右されることが明らかになったことから生まれた。
アンリ・フェイヨル(アンリ・ファヨール)が管理の対象を作業現場のみから企業全体にまで広げ、「企業活動を6つに分類・整理」(後のポーターのバリューチェーンとほぼ同じ)するとともに「経営管理プロセス」(PDCAサイクルの原型)の重要性を唱えた。
そして、チェスター・バーナードは、1929年に起きた世界恐慌などの外部環境の変化に対応していく企業のシステムとして「組織の成立要件:①共通目的、②貢献意欲、③コミュニケーション」を上げている。また、共通の目的(経営戦略)を作ることこそが経営者の重要な役割であるとして1938年に「経営者の役割」を公刊した。
この時代までは、経営は企業内の管理という側面が主であったといえる。
1960年代~
ここから企業経営は、戦略という概念をに用いて表現をされ始めた。
このような表現を初めてしたのが、経営戦略の父ともいわれるイゴール・アンゾフであり、1960年代になると欧米の経済は目覚ましい発展を遂げ、企業の合併・買収が相次いで行われたことで一企業が複数の事業を持つことが多くなった。
アンゾフは、経営戦略を一つ一つの事業ごとの戦略である「事業戦略」と企業全体の戦略である「企業戦略」の2つに分けて考え、現状の事業活動の延長線上にはない戦略を示した「成長ベクトル」を提唱した。
ここで、考えられた「事業ポートフォリオ」という考え方が影響を与え、戦略コンサルティンググループであるボストンコンサルティンググループによって「PPM」という経営・事業分析・管理ツールが生み出された。
こうした数字や事実に基づいた定量的な分析手法や姿勢が、後に「大テイラー主義」と呼ばれることになる。
アンゾフは、競争に打ち勝つためにはコアとなる強みが必要であると考えており、これは後の「コアコンピタンス論」や「リソースベースドビュー」へと繋がった。
さらに競争環境の特性を理解することについても言及しており、マイケル・E・ポーターの「競争の戦略」へと繋がることとなる。
後の経営戦略に大きく影響を与える考え方を多く提唱したアンゾフと同い年のアルフレッド・チャンドラーは、企業の多角化が進展し機能別組織から事業部別組織への転換されていく状況を鑑みて「組織と戦略は密接に関わる」ことを提唱しており、経営戦略には企業の経営目的も含まれるとした。
1970年代~
経営戦略論における二大勢力のうち、まずは「ポジショニング派」が隆盛することなり、第一人者は大テイラー主義でもあるマイケル・E・ポーターであった。
ポーターによると経営戦略とは、「儲かり得る市場」を選び(5フォース分析)、「儲かり得る位置取り」をする(ポーターの戦略3類型)こと、つまり「ポジショニング」が第1に重要であるとしている。
そして、ポーターが提唱する活動プロセスである「バリューチェーン」の含まれる要素である「ケイパビリティ(組織能力)」は、ポジションに合わせて必要な部分を強化すべきであるとしている。
1980年代~
このあたりの時代から、ポジショニング重視の企業は、一度自身で築き上げた競争優位の持続ができなかったため、徐々に業績を悪化させて経営危機に見舞われてしまうような事態に陥っていた。
そこで、頭角を現してきたのがケイパビリティ(組織能力)を重要視する戦略アプローチを行ってきた「ケイパビリティ派」である。
主要なものとして、持続的な競争優位をもたらすコアとなる企業能力であるコンピタンスを見定めたうえで有効なポジションを見定める「コアコンピタンス経営」がゲイリー・ハメルらによって主張された。これは、ポーターの考えた経営戦略とは真逆の考え方である。
また、ケイパビリティ派の中心人物であるジェイ・バーニーは持続的な競争優位の源泉を経営資源から見出して戦略を構築するアプローチを「リソースベースドビュー」と総称した。そして、持続的な競争優位になり得る経営資源を分析するためのフレームワークとして「VRIO分析」を提唱した。
ただし、この時点ではどのような経営資源が持続的な競争優位を生み出すのに有効であるかを示すに留まり、そうした経営資源の獲得手法について答えを提示することはできなかった。
1990年代~現代
経営戦略を考えるうえでのアプローチとしてポジショニングまたはケイパビリティのどちらを重視すべきかという論争に対して、ヘンリー・ミンツバーグは、「コンフィギュレーション」という主張を展開した。これは、どちらを重視すべきかはその企業が置かれている状況によるもので、「戦略はパターン化できるものではなく、状況に合わせて組み合わせる必要がある」といっ考え方である。
このように現代においても、経営戦略には絶対的な正解というものがない状況が続いている。さらには、時代とともに外部環境の変化の激しさが増していることから今後も経営戦略はさまざまな動きが出てくることが予想される。